近世における佐原の発酵文化の中の醸造業である酒造の起こりは、寛文年間(1661~1672年)伊能 三郎右衛門が、常陸国牛堀村 平八郎の酒屋名代を買い受け、酒屋を始めたという記録が、その最初とされます。
天明8年(1788)の記録によると、開拓者的な存在である伊能・永澤家の酒造高が、35人中1位と2位を占めていました。その後、明和年間の仲間成立期をへて、安永・天明年間に上昇し続け、この頃を頂点に下降現象を示し、文政9年(1826)の記録を見ると、伊能家は上位から落ち、永澤家は名前すら記されていません。文化・文政年間から天保の初期にかけては、財閥起業家の新旧交代が行われる中、停滞もしくは衰退をみせましたが、幕末から明治初期にかけて一時的に活況をみせました。しかし、まもなく他の新興産業を追従するようになりました。